慈雨 ブログ

慈雨のぺちゃくちゃおしゃべり

死について考え抜いた

桜が咲くと、あの頃を思い出します。小さな体にランドセルを背負って、通った小学校。大きくなっていく体。成長していく自分。

そして、桜は咲いては散っていく。そして、また春になると満開の花を咲かせる。それが、不思議でもありました。その循環に。繰り返しに。

そして、大人になってからは、桜と一緒で、人間も、召されたら、また舞い戻ってくるのかどうなのか、考えたりもしました。

 

しかし、そんなことは、到底わからないと、匙を投げたものです。

植物と人間が同じような仕組みになっているかなんて、知りませんしね。

人間がどんなに悩んだって、謎なのですから。しかたありません。

 

そんな中、母方の祖母が体調を崩し、もう逝きそうだと母からの知らせを受け、お見舞いに行く前は、本当に人間の死について、わからないながらもわかろうと必死でした。

 

だけど、実際、お見舞いに行くと、祖母は、ずいぶん元気になっていて、

拍子抜けしたのを覚えています。

 

まあ、良かった事なので、ホッとしたのも事実です。

でも、あの時、かなり死について考え抜いたので、祖母が天に召される時になっても、安心して祖母を送れるのではないかなと思っています。

ひとつ乗り越えたというか。他人の死ではありますが。

それでも、大きかったかなと考えています。